妖怪見聞とチェルノブイリハート

今日は朝、何故かもち米を買いに行って、妖怪見聞観て、チェルノブイリハートを観て過ごした。

えーとね。映画つまんなかったなー。というのがオチ。

アメリカのプロパガンダ映画かと思ったよ。

あの偽善者っぷり。ひどいな!

私たちは、悪と戦わなくてはならない!!とか言いつつ、なに食ってんだよ?

映像でキレイな服着てたじゃないか?あんさん、ズルイ事したことないんかい?

なーんて、高校の時は書いていたんだが、今はちょっと、傾向を変えて、映画や展示で改めて

気づいたもの・・・。



妖怪見聞でも感じた事だが、現実を解釈する時の科学を根拠にした説明のしょーもなさを感じた。

妖怪とは、説明不可能な現象や教訓の意味合いで『妖怪現象』または『妖怪』を用いて複数の人間が

ある現象を理解していた。

例えば、川で溺れるのを防ぐための河童とか、山で聞く音を天狗の仕業にしたとか

実証可能なものを信じて、それ以外をいい加減なものにする意味があるのかと放射能と妖怪で感じた。

危険だと思うのなら、科学的根拠が実証されていなくてもやめるべきだし、

面白いんなら、意味がなくてもやってもいいと思う。


あと同時に考えたが、何かどーしようもない事態になっている時、立ち向かうには

①絶対的な正義を信じて突き進むか

②その事態に対して、強い怒りや恨みを持って戦うか

などの強烈なモチベーションがないと立ちすくんでしまうなーと思った。


今日の映画は、カットも、インタビューもテロップのヒジョーにうざくて、映画の出来としては

よくなかったが、まあ別にいっか。

&今日、出演した人には、ヒジョーーーーーーーーに失礼だが。

社会的問題を扱うイベントがこける要因の一つに、変な人の演奏とか感想とか、ポエムとか

そーゆうのがあると思った。←本当にすいませんね。だって、そう思うんだもの。

うん。アレはないわ。