『コミュニケーション力』 『社交性』 『協調性』  漠然と普及している能力の記号が傷つけているもの

人が社会を渡り歩くには、何が必要なのか??

今日、というかさっき、あるトラブルがあって

ある集団に外から入るには、『かべ』を越えていかないとダメで、

それを越えるのがコミュニケーションだという主張を聞いた。

ある集団に『かべ』があるのは、確かにそう思う。ある集団が完結している場合、

外からの変化は敵視される場合もあるし、敵対することで団結することもある。

ただ、その『かべ』自体はどうなのか??と考えてしまう。

『コミュニケーション力』『社交性』『協調性』

人が社会に適応するために必要なものということで、よく言われるが、

こうした漠然としたものが苦手な人はどうすればいいのか?

うーーーん。

個性というものを認めるという風潮にある中で、協調性やコミュニケーションが苦手

という個性を持った人が身内と外と板挟みになっている、かなり苦しい状況・・・。

なんでだろう?? 何かおかしい気がする・・・。

田舎だからか?日本だからか?時代だからか?

・・・。