やってはいけない事と思っている事を共感できない人とは,一緒にいれないかもー2011年
先日、食糧と農を考える討論会みたいなのに参加して、改めて望む方向が違う人と一緒にいるのは微妙と思っ
た。同時に、正確には「ダメと思っているもの」が共感できるっていうのは、ある意味つながりを作るのかな
と思った。
討論会の内容としては、水、エネルギー、経済規模の縮小や限界が見えてきているという背景の中で「食べる
こと、食糧の生産のこと」というのをかなり大雑把に概要を話したんだと思う。
で、今流行りのエコビレッジとかコミュニティデザインみたいな話が出てきたんだけど・・・。
どーも納得いかなくて・・・。都内でオシャレにライフスタイルをデザインしていて、これって
ただの流行??みたいな感じがしてしまって、ちょっと冷めてた。
で、話が食育とか命の大切さとか、そんな話に飛躍してしまって。
なんだかなー。とさらに、引いてしまった。
何が原因なんだろう?
一つは、都内は食糧がなくなるまで買えばいいじゃん。お金あるんだし。と思っていることと。
2つ目は、こーゆう問題の当事者って、自分の住んでいるような茨城とか、地方がやることなのかなーと思うこ
とと。
3つ目に、自分が望む世界を他人に押し付けるなよと思ってしまったことかもしれない。
たぶん。3つ目がとても強くて、その人たちが「ダメな世界」と思っている世界にしないために犠牲とするもの
を自分が認められないと思うからだと思った。
だって、生の野菜の美味しさを教えるために食育を徹底するとか、農作業を必須にして確実に体験させるシステ
ムにするとか・・・。美味しいと思う人は美味しいと思えばいいし。嫌いな人は嫌いでもいいと思う。
究極は、「生きる」って事でしょ?存在の方法に優劣つけるんかい?
生野菜好きな人は、人間の本質に近くて、ハンバーガーの方が好きな人はかわいそうな人なんかい!?
え?どーなのよ??
純愛は美しくて、不倫は汚いのか?同じような感覚なのに?それって、タダのパッケージじゃないのか?
選択の自由はないのか?
人の権利の侵害はいけないけど、ただの個人の問題であるならば、それは選択の自由の保障もあってもいいんじ
ゃないのか?
ある側面だと、買い物難民の人とかに消費期限の短い無農薬の野菜を買えっつーのか??
ふー。暴走してしまった。
という事で持続可能な社会を構築しようとしているグループにも微妙になじめなかった。